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1927年にトーキーが登場すると同時に、映像と音楽を結びつけた新しいジャンルのミュージカル映画が誕生した。従来はリアリズムの芸術であった映画に歌や踊りを持ちこんだ、いわばおとぎ話的なファンタジーと言える。当時はジーグフェルド・フォリーズを中心とするレヴューが全盛であったが、しょせんは大都会に住む人々の娯楽であった。第9回アカデミー賞作品賞を受賞した「巨星ジーグフェルド」はブロードウェイでレヴューの王様と称されていたフローレンツ・ジーグフェルドの伝記映画である。ミュージカル映画はこの華やかなショーをスクリーンで観ることを可能にしたのだった。舞台からはアル・ジョルスン、フレッド・アステア、ビング・クロスビー、モーリス・シュバリエ等が映画界入りした。そして、1929年の大恐慌以来、混迷状態にあったアメリカがルーズヴェルトの登場と共に活気を取り戻し、生活を楽しむ余裕が出て来たのが30年代の中頃である。各社は競ってミュージカル映画を製作し、数々の傑作が生まれた。MGMは1929年に第回アカデミー賞作品賞を受賞した「ブロードウェイ・メロディ」 をシリーズ化し、ワーナーもゴールドディガースを5本、パラマウントは”大放送”シリーズを4本製作。「ダンシング・レディ」でデヴューしたアステアがRKOでジンジャー・ロジャースとコンビを組んで成功したのも特筆される。 参考文献:芳賀書店刊「ミュージカル映画」。 |
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天国と地獄(1945)DVD |
フォリーズ(1946) DVD |
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(1951)DVD |
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バズビー・バークリーBusby Berkeley 1895年に舞台監督の父と女優の母の間にロス・アンジェルスで生まれる。1920年代後半には既にダンス監督としてブロードウェイで21本の作品を手掛けた。30年代に入り映画がトーキーに移行すると共に振付師としてサミュエル・ゴールドウィンに招かれて映画界入り。主にエディ・カンターを担当するが、彼の名声を不動のものにしたのは1933年にワーナーに移ってからである。その華麗で立体的な演出はミュージカルに一時代を画した。初めての監督作品「ゴールド・ディガース36年」以降は精彩を欠くが、60年代に入り初期の作品が再公開されその功績が見直された。生涯に6度の結婚歴がある。
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ビング・クロスビー&ボブ・ホープBing Crosby & Bob Hope 1901年生まれのクロスビーより3才若いホープ。学生時代からグリークラブで活躍していたクロスビーは、ポール・ホワイトマンに見出されてたちまち人気者になる。映画では「キング・オブ・ジャズ」で長編デヴュー。32年には破格の条件でパラマウントに移りラジオでも活躍した。一方、ヴォードヴィリアンとしてユーモラスで軽妙なセリフが持ち味だったボブはラジオに進んだ後、1938年に「百万弗大放送」で映画デヴュー。1940年にクロスビーと共演した珍道中シリーズはパラマウントのドル箱シリーズとなった。自分のプロダクションを起こして成功し、頂点を極めた2人は共に幸せな晩年を過ごしたと言われている。
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フレッド・アステアFred Astaire 1899年ネブラスカ生まれ。ビール醸造業を営む父親を持ち、5歳で姉と共にダンス学校に入り、7才でプロ・ダンサーとして全米を巡る。姉が結婚したため33年に「ダンシング・レディ」で映画界入り。翌年の「空中レヴュー時代」でジンジャー・ロジャースとのコンビが誕生して、以降、RKOで数々の名作ミュージカルを世に送り出した。ダンスに関しては完璧主義者でロジャースともしばしば対立したらしい。しかし、39年にコンビを解消してからも周囲から押されて精力的な活動を続け、49年には長年のミュージカル映画へのへの貢献によりアカデミー賞特別賞を受賞している。
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