フランスのジョルジュ・メリエスがトリックを使った数々のおとぎ話的な映画を演劇的な方法で開発したのに対して、アメリカのエドウィン・S・ポーターは場面を編集することによる映画的な手法で、1903年にアメリカ映画の始祖たる「大列車強盗」を製作した。当時は10分程度の短編が主流だったが、イタリアで1913年に「クォ・ヴァディス」が公開されたのを契機に世界中で長編が作られるようになった。このような状況の中でクロースアップの多用をするなど独自の描写力で映画製作の基本を確立したのがアメリカ映画の父、D.W.グリフィスである。遡って1910年にアメリカでフローレンス・ローレンスという女優が交通事故で亡くなったことが話題となり、情報誌として「モーションピクチャー・マガジン」が発刊されている。また1914年には配給会社としてのパラマウント映画が設立された。1920年にはその年の公開作品から優秀作品をピックアップする現在のベストテンのようなものがやはりアメリカで選 出されている。アメリカ映画はその誕生から20年余りで現在の仕組みの基本が確立され、1926年には鉄工、石油に次いで第三位の重要産業になりピークを迎えることになる。その年の8月に「ドン・ファン」が公開されて時代はトーキーへと向かうのである。 参考文献:東京ブック刊「欧米映画史」、キネマ旬報社刊「アメリカ映画史」。 |